六

 獄寺と名乗った少年を前に落ちた沈黙に、綱吉はむずむずと身体を揺らした。
 自己紹介をした。じゃあその次はどうするべきだろうか。どうすれば違和感なく溶け込む事ができるだろう。
 次第に眉間に力が入り始めた綱吉は、今一混乱が収まっていない頭で思考をまとめようと尽力を尽くす。だが、勿論うまくいく訳がない。元々対人戦での経験が少ない上、綱吉は頭の回転が鈍く対話能力が常人よりも劣っているのだ。スムーズな会話というものが今イチよくできていない。
「おい」
「な、なに?」
 無粋な呼びかけに声が裏返った。眉間に寄っていた力を解いて、顔を上げる。
 逆に獄寺は端整な顔を見事に顰め、彼の意図があってのことかは定かではないが、ジロリと綱吉を射竦めるごとく睨み付けてきた。思わず顔が引き付き、身体が畏縮してしまう。
「ココは何処だ」
「……あ、ああ。俺の家、だけど」
「そうじゃねぇよ。どこの村か聞いているんだ、馬鹿かテメェ」
 獄寺は、容赦が無かった。
「……並盛村です」
 清々しい程に率直に吐かれた毒舌に綱吉は項垂れる。
 獄寺は敷き布団の上で胡座を組んでから、綱吉の言葉を反復するように小さく呟いた。親指を唇に押し当て、自らの記憶と照らし合わせた獄寺は眉間の皺を更に深める。
「それで、何で俺がココに居る? 俺は山に居たはずだ」
「ええと……うん、君、山で倒れていたんだよ。何も覚えてない?」
 昨夜の記憶を引っ張り出しながら尋ねると、獄寺の片眉がぴくりと上がって怪訝そうに綱吉を見返してきた。それに覚えていないのだな、と理解して一つ頷く。
「まあ、気分も朦朧としていたみたいだから」
 気にしないで、と告げた。
「草壁さん…、ええと獄寺くんを運んでくれた人の見立てではただの貧血じゃないかって。あの、もう大丈夫?」
「……ああ、平気だ。世話になったな」
「えっいや俺はとくに何もしてないんだけど」
 殊勝な顔をして頭を下げられて、力なく微笑を浮かべる。
 意識の無い獄寺を運んでくれたのは草壁だった。彼は並盛村のすぐ近くまで獄寺を背負って山を下りてくれ、綱吉に軽い処方まで伝授してくれた。おかげで就寝中だった奈々を無理に起こさずに済んだことは幸いである。
 草壁が倒れていた獄寺に近寄った時は、もしや食べる気なのかと冷や汗を掻いたが、それは杞憂に終わった。
 鬼が全て彼のようだったら、と思う。顔は怖いが、その内面は誠実で優しく穏やかな人だ。彼が鬼頭であったならば、きっと話し合いをすることも可能であったのではないかと、そんな漠然とした思いがある。
「おい、どうした?」
「……え?」
 思考の渦に埋まりかかっていた綱吉は、引き上げられるように顔を上げた。
 すぐ近くに睨み付けるようにして覗き込んで来ていた端整な顔立ちが目に入り、ぱちくりと目を瞠目させる。その一瞬後、綱吉は盛大に奇声を上げた。
「なんっなんだ、テメェは!?」
 跳ね上がって後ろに飛んだ綱吉はジロリと翠色の瞳で睨み付けられる。
「だっ、だだだ、だって…!」
 いきなり顔がすぐ近くに迫っていれば誰だって驚くではないか。
 早鐘を鳴らす胸を押さえ、そのような意味あいを込めて綱吉は精一杯に目に力を込めるが、獄寺がそれを理解した様子はなく仏頂面により磨きが掛かった。銀灰色の髪を乱暴に掻き上げながら、フンッと鼻を鳴らす。
「いきなり押し黙るかと思えば、急にでかい声を出しやがって」
「ううっ、すみません」
「まあ、いい。それより俺の服はどこだ?」
「あ……服は今洗濯してあって…」
 そう言った瞬間に仏頂面だった獄寺の表情が奇妙に歪み、綱吉は慌てて言葉を付け加えた。
「でも朝一に洗ったから、きっともう乾いていると思うよ。持ってこようか?」
 伺うようにして尋ねればすぐに首を縦に振られた。
 綱吉はわかったと一つ頷いてから、そういえばと更に問い掛けるようにして伺う。
「食事はどうする? 食べられるようならご飯を持ってくるけど」
「……いや、いい。そこまで世話は掛けられない。それに恩を感じていても、俺は何も返せないからな」
 必要以上に固い声音で告げられた生真面目な言葉に、きょとんと呆気にとられながら暗い影を落とした獄寺の顔を見据える。
 獄寺が言わんとした言葉の意味を考えるようにうーんと首を傾げて、それから気の抜けた笑みを浮かべた。
「あのね、獄寺くん。べつにそんなに深く考えなくていいから」
 怪訝そうに上がった顔に向かって、綱吉はニコリと笑む。
「ご飯なんて悪いけど昼食の残り物だよ。それにウチにだってお客様に出すくらいの蓄えはあるし。一宿一飯と言えば聞こえはいいかもしれないけどね、べつにたいした事はしてないでしょ?」
「……………」
「困った時はお互い様。それじゃ、ご飯も一緒に持ってくるよ」
 返事が無い事を良いことに、綱吉は沈黙を了承と取って膝を立てた。しかし立ち上がろうとしたところで、待て、と制止の声が掛かる。
 半端な姿勢の状態で胡座を掻く獄寺を見返して、向けられた視線に小首を傾げた。今まで強い光を宿して、それこそ睨み付けるようにしていた獄寺の翠色の瞳が、今はひどく不安定に揺れたような気がしたのだ。
 獄寺は唇を何度か舌で濡らしながら、どこか躊躇しているように視線が泳ぐ。ふらふらと定まらない視点のまま、獄寺は濡れて滑らかになった唇を開いた。
「お前、本当に何も思ってねぇのか…?」
 しかし、言われた意味の言葉を理解できず、綱吉は更に首を傾げる。
「この頭髪の色とか、目玉の色とか……」
「え。だから、その…綺麗だなーとは思ってるけ、ど?」
 目を白黒させながらしどろもどろに答える。すると獄寺はその銀灰色の髪を乱暴に掻き乱した。それからジト、と初夏の若葉を思わせる瞳で綱吉を見つめる。
 恨みがましいような、浮かれている自身を敢えて諫めているかのような不可解な感情を瞳に映して、若干頬を朱に染めながら獄寺は口を窄めた。
「そうじゃねぇ。いや、そうだけど……他に何か思わないのかよ?」
「他に?」
「……気持ち悪い、とか」
 ぼそりと小さく呟かれた言葉に、綱吉は目を見張った。
 一転して自嘲のように暗く陰る翠色の瞳を、飴色の双眸で覗き込む。
「そんなことないよ。山の中で君を見つけた時も思ったんだ、綺麗だなって。けど……」
 胡座を掻いた膝の上に置かれた拳に、綱吉は何となく手を伸ばした。最初、髪に触れようとした時は振り払われたが今度はその素振りはなく、獄寺はじっとしている。
 そっと握り込まれた拳の平をなぞり、包み込むようにして手を重ね合わせながら、綱吉は獄寺の顔を振り仰いだ。
「日の光を浴びた君はもっとキラキラしてて、凄く綺麗だった」
 それこそ眩しいものを見るように目を細めて柔く微笑む。
 カッと急激に獄寺の頬がこれ以上なく染まり、それを隠すようにして顔が逸らされた。包みこんだ手は振り払われ、目睫に迫った綱吉の顔を押し出すようにして遠ざける。
 前触れなく顔面を握り込まれた綱吉はくぐもった声を出したが、そのまま獄寺にぐいぐいと後方へと押された。
「何が綺麗だ、だ。気持ち悪い奴だな、テメェは」
「す、すびばぜん…」
 フンッと鼻を鳴らし、獄寺は綱吉の顔から手を放した。
 解放された綱吉は両の頬を指先で解すように揉みながら、ちらりと獄寺を一瞥する。顔を赤く染め唇を真一文字にきゅっと結ぶ姿にほんの小首を傾げながら、ふと脳裏に浮かんだ疑問を口に乗せた。
「獄寺くんは何処から来たの?」
 近隣の村からではないのは確かである。このような派手な人がすぐ近場にいれば、いくら綱吉が鈍くても流石に気づく。
「ああ、都からだ」
「都…へえ! どこまで行くの?」
 ほんの好奇心を刺激されて口を衝いて出た言葉であったが、思い掛けず真っ直ぐに眼光を向けられ、怯んだ。
 その視線に聞いてはいけなかった事だったのかと不安に戦く中で、しかし獄寺があっさりと告げる。
「ここだ」
「……ココダ?」
「だから、並盛だってーの。ホント鈍いな、お前」
 呆れ果てたように溜息と胡乱な視線を投げかけられ、綱吉はムッと鼻白んだ。
「うるさいな。それより、じゃあ並盛には何の用で来たんだよ?」
 憤慨したつもりで腕を組み、唇を窄めて問い掛ける。
 すると、うっすらと獄寺が笑んだ。それはひどく酷薄な笑みのように見え、思わず息を呑み込んでしまうほど。
「鬼退治だ」

 ***

「鬼退治、か…」
 稲作の帰り道、夕映えに鮮やかに輝く水田の間を歩きながら、綱吉は昼間の少年を思い出していた。
「並盛山には入らない方がいいよ、…て言ってもきっと無駄だったよね」
 後々言い忘れていたことを言い訳がましく呟いて、綱吉は重苦しく息を吐き出した。
 獄寺は結局あの後、差し出した昼食を平らげ綱吉と奈々に対して礼を述べて去っていってしまった。どこへ行ったのか定かではないが、とりあえず綱吉の視界の中には入ってきていない。
 並盛山に倒れていて、目的地は並盛だと言い、用事は鬼退治だと告げてきた少年。
「たぶん、獄寺くんは並盛山に鬼が居ることを知っているんだ」
 恐らく地元民しか知らない事をどのようにして知ったのか不思議ではあるが、口を封じられている訳でもないのでひょんな事から聞き及んだのかもしれない。
 しかし偏に鬼退治と聞かされても、今イチぴんとせず綱吉は眉間に皺を寄せた。
 鬼もまた死ぬ生き物だということは草壁により確認済みであるが、鬼の中でも最強である鬼頭の雲雀のイメージが思いの外強く、どうにも鬼と<死>が連結できないでいる。それに綱吉ら地元民は、物心ついた時から鬼は捕食者であるという認識を否応にも植え付けられてきたのだ。死のイメージから程遠いと感じてしまうのは、一方で仕方のないことだろう。
「ん?」
 ふと思い立ったことに、綱吉は足を止め、首を傾げた。
「獄寺くんが鬼退治……あれ? じゃあ、もしかして深浦村の鬼って……」
 ――ありえるのだろうか。草壁の話では鬼の死体は全身が焼け爛れていたという。
「リボーンじゃないし、雲雀さんでもない、んだよね…?」
 無論、村の誰かでもない。そして偶然にも正義の味方が現れたのではなければ、綱吉が思い当たるところでは残り獄寺のみとなる。
 鬼退治と、獄寺が冗談で言ったのではないことは綱吉には不思議と解っていた。けれど獄寺の実力がどれほどのものか、知る由はない。鬼を一人、葬れる程なのか―――葬れる程の力があるならば。
「んん?」
 何か恐ろしい結論に達してしまいそうになり、綱吉は更に首を横に倒した。
 その顔色が若干、青ざめる。
「……やばくないか…?」
 獄寺が鬼を一人、葬れる程の力を持っているのならば、彼が向かう場所など一つだろう。
 鬼の住まう山、並盛山。
 事実、昨夜既に獄寺は並盛山へと足を踏み入れてしまっている。今日もまた御山に向かったとしても何ら不思議ではなかった。
 綱吉はそうと結論づけるなり、立ち止まっていた足を振り上げ、畦道を蹴るようにして駆け出した。
(獄寺くん、まだ体調だって万全じゃなかったみたいだし……大丈夫だよね?)
 焦りしかない身の内を少しでも鎮める為に自らに語りかけるが、上手くいかない。
 どうしてだろう、と思って、あの眼だ、と思った。鬼退治だと告げた時の、あの眼がいけない。あの眼が綱吉を不安に掻き立てる。
 いつも修行に使っている小山の抜け口に辿り着いた。畑地を突き進み、柵に足を掛けて山の急斜に身体を押し込む。ぐぐっと上体に力を入れて小山を登り切るなり、また草履で地面を蹴った。
 三ヶ月間通いつめたように何度も歩いた山は、綱吉の味方のように道を示してくれる。しかし凹凸の激しい道を進んでいくにつれ綱吉の息は荒くなり、息苦しさに顔が苦渋に染まった。
 それから暫くして、転がり込むようにして小山の脇を抜け、山と山の間に作られた細い街道に出る。
 一歩、人工的に整理された道に出て綱吉は大きく息を吸った。腰を屈め、膝に手を突いて息を整える。
(……そういえば、リボーンの奴どこに…)
 伝う汗を手の甲で拭いながら、昨夜から見かけない童子の姿を脳裏に思い浮かべた。彼は朝食の時にも、昼食時の時も姿を見せなかった。ただの気紛れだと思っていたけれど、流石に朝も昼も姿を見せないのはおかしいだろう。
 まさか、と思った。
 思い浮かべて、頭を振る。
(まさか。……ありえない)
 傲慢で横柄、尊大で不遜、傍若無人な態度をとる赤ん坊。そして最凶で、最強な存在。それがリボーンだ。そんな彼が、いなくなるわけがない。
 はあっ、と咳き込むように息を吐き出した。背筋をぐっと伸ばして茜色の夕空を見上げる。街道には綱吉の他に二人の影しか見えなかった。峠の近く、ゆっくりと登り詰めて行く行商の背を、目を細めて眺める。
(……雲雀さんは、今日も機嫌悪いかな)
 重くなる手足を携えて、綱吉は登って行く行商とは逆に駆け出そうとした。並盛山は、すぐそこだ。
 獄寺の実力がどれほどのものか、綱吉は知らない。けれど漠然と、雲雀には敵わないだろうと思った。それが物心付く前から植え付けられた認識のためなのか、または昨夜の恐怖心から導きだされた結論なのか、漠然としすぎてよく解らないけれど。
 とにかく、急がなければならなかった。急いで獄寺を見つけなければ、きっと取り返しのつかない事になってしまう。
 ――だのに、目が移ってしまったのは……ただの直感だったのか。気が付けば登り行く行商の背を追うようにして、綱吉は駆け出していた。
 行商人の背が峠を越える。すぐ傍、先程までは峠で休むように腰掛けていた影が緩慢とした動作で立ち上がった。
 その影の腕が、夕映えに光る。行商人に振り下ろされる、ソレに。
「ダメだ!!」
 鈍く、朱に輝くその光に、瞠目した。
「――雲雀さんっ!!」
 喉が張り裂けるばかりに出された声は、大気を震がし、振り上げられた腕を鈍らせた。
 頭部に振り下ろされようとしていた凶器は大きく鈍り、肩に食い込む。無防備に狙われた行商人は倒れ、悲鳴を上げた。
「だっ、大丈夫ですか?」
 苦痛に身悶えする男の側に綱吉は駆け寄るものの、助け起こそうとした手は払い除けられ、男はそのまま転げ落ちるようにして峠を越えて行った。
 その背を呆然と見送る綱吉の肌を、殺気がジリジリと焼く。
 背筋から全身へと悪寒が広がり、綱吉の身体は一つ一つの細胞がまるで麻痺してしまったかのように動かなかった。
 それからどのくらいの時間が経った後だろうか。綱吉には永遠にも長い時間のように感じられたが、実際には僅かな経過だろう。
 じゃり、と地面が踏み潰された音を聴覚が拾った。沈黙を相殺され、綱吉は慌てて雲雀だろうその人物を振り返る。けれどその時には既に、まるで興味を削がれた如く彼は無言で踵を返し、綱吉に背を向けて街道を下って行った。
「……雲雀さん?」
 唖然として綱吉はその名を小さく呼んだ。
 しかし我に返るなり、慌ててその背を追いかけていく。
「ま、待って。雲雀さん!」
 呼びかけに応える声は無論ない。未だに苛立ちを残したままと知れるその背には、拒絶の色さえ感じられた。
 その立ち止まることのない背を追いかけながら、綱吉は自分の行動に理解できず、しかし戸惑いながらも一定の距離を置いてついて行く。
 怖いのも、痛いのも、大嫌いなのに。
 追いかけて、呼び止めて、どうするつもりなのか。
 脳裏に思い浮かぶのは、リボーンと獄寺だった。彼らの所在を尋ねるのか。少なくとも、リボーンのことならば知っている可能性はある。
 ふと峠から数メートル下りた先で雲雀は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。綱吉も続き立ち止まる。
 深く編み笠を被った顔からは禄に彼の顔を見ることはできず、我ながらよく彼が雲雀であると解ったなとほんの少し自分に感嘆する。
 長い前髪から覗く夜空色の瞳は射るように綱吉へ向けられた。
「――死にたいの?」
 苛立ちを押し殺し、囁くように問い掛ける声はゾッとするほど優しかった。
 綱吉は、何も答えなかった。ただ明確な殺意を持って近づいてくる雲雀を、不思議なものを見るような眼差しで見詰める。
 なんだ、これは。
 彼はひどく怒っていた、苛立っていた。けれど、そのもっと奥に渦巻くものは何だ。
 瞳の奥で、何かが揺れる。
 それは殺意ではなく憎悪でもなく、もっと別の感情。
「苦しい…?」
 綱吉の小さな呟きに、雲雀の動きが一瞬止まった。
「今、苦しい? つらい?」
 恐れを感じる暇もなく言葉が衝いて出る。
 始めて見せる、残酷だと思っていた鬼の動揺の色に、綱吉は雲雀の前に立った。そして無意識のうちに腕を伸ばす。
「雲雀さん」
「――黙れ」
 短く命じられ、伸ばした腕は逆に強く捕まれた。
 千切れるのではないかと思える程の力に、綱吉は小さく悲鳴を上げる。握り込まれた腕に、雲雀の爪がきつく食い込んだ。
「消えろ。君はいらない」
 大きく振り上げられた腕にはいつの間にか凶器が握り込まれ、弧を描いて首もとのさらに下、心臓を狙って振り下ろされる。
 綱吉はその凶器の軌跡は追わず、ただじっと自分を殺そうとする冷酷な男を見詰めた。恐怖すら麻痺してしまったかのような穏やかな瞳で、少しでも彼の心を知るように。
 恐れも逃げることもなく真っ直ぐに見上げてくる綱吉に、雲雀の動きが僅かに鈍った。
 彼の表情が変わる。
 それを見定めようとした綱吉はしかし、突如として遮られた。
「伏せろ!!」
 張りのある、その声は知っているものだった。
 けれどその声の主を認識するより先に、雲雀に掴まれた腕が思い切り乱暴に突き放され、綱吉は地面に尻もちをつく。
 次の瞬間に襲ったのは、恐ろしい程に熱い熱風と轟音。
 綱吉は唖然と爆煙が広がる様を見詰めた。それからハッと我に返り、立ち上がる。
「……ひっ、雲雀さ…!」
 爆煙の中に駆け入ろうとしたところへ、それを遮るように二の腕を引かれた。咄嗟に振り払おうとして、キッと腕を掴むその人物を睨み付ける。
「おい、大丈夫か?」
 そこで綱吉は始めて声の主を振り返った。
 むっつりとどこか不機嫌そうな仏頂面。雲雀と同じく編み笠を被っていたが、そこから覗く色は紛れもなく銀灰色の髪に澄んだ翠色の瞳。
「……あ。…獄寺くん」
「少し血が出てるな、これ巻くだけ巻いとけ」
 獄寺は懐から手拭いを取り出して、先程まで雲雀が掴んでいた部分を手際よく覆って結びつけた。
 綱吉は獄寺から視線を落として、恐らく元は浅黄色だっただろう手拭いにそっと指の腹を添える。
「……ありがとう」
「……べつに」
 小さく述べられた礼に獄寺の視線が不自然に泳ぐ。素っ気なく返された返事は、赤く染まる頬からすぐに照れ隠しだと知れ、綱吉はふっと口元を緩めた。
 けれどその不器用な優しさを湛えた瞳が、ある一点を見詰めて鋭く尖った。凶暴な色を浮かべた瞳のまま、苛立たしげに舌を打ち付ける。
「ちっ、逃げられたな」
 ぼそりと呟かれた言葉に綱吉はハッと顔を上げ、雲雀を探した。だが獄寺の言葉通り、爆煙の晴れたそこに雲雀はどこにも見つけられない。
 綱吉は安堵のような残念であるような、不思議な気持ちで息を吐き出した。
 その同じタイミングで、しかし綱吉よりも長い溜息が二人の元に届く。
「はーあ〜、…ったく。ありゃぁ、相当重傷だな」
 心底気怠そうに呟かれたその闖入者の声に、綱吉と獄寺は互いに顔を見合わせる。そしてその声に続いた相槌に、綱吉は目を見張った。
 その声音がよく見知ったものだったからだ。
「かなりやべぇな」
「冗談じゃねぇっての。俺ぁ、野郎の為に流す汗ってのが一番嫌いなんだ。カワイ子ちゃんなら大歓迎だけどな」
「野郎の為に流した汗は巡り巡ってあら不思議、村の女たちの為になりました。良かったな、カワイ子ちゃんの為だぞ」
「えー…なんだそりゃ、俺は縁の下の力持ちか? 影のヒーローってか。いやまあそれも素敵だけどよ、それじゃあ『きゃーっ、流石!シャマルさん素敵ー!愛してる!抱いて!』と、こんな展開にならねぇじゃねーか」
「どうでもいい事だがお前の裏声キモチワリーな」
「おいおい俺の美声に何言ってやがる。鳥肌もんだろ?」
「確かに鳥肌は立ったぞ」
 唐突と言える程に現れた声の主二人は、ぽかんと口を半開きに固まる綱吉たちを気に掛けた風もなく会話を繰り広げた。
 一人は壮年の男で坊主が纏う袈裟を着ているが、頭髪は伸ばし髪を左右に流し、あまつさえ無精髭を生やしている。その口調からも感じ取れた気怠さを全身から放っているが、浮浪者のような薄汚さは感じなかった。衣服を着崩した格好や伸びた頭髪は坊主の格好とは不格好のはずであるが、それもまた不思議とその男には似合っている。
 もう一人は少年、というよりは赤ん坊。頭巾を被り、まるで特注に宛がわれたようにピッタリな和装を着込んでいる。無論小さく柔らかい足を守る草履も、その赤ん坊のサイズにピッタシだ。こぼれ落ちそうな程に円らな瞳に、白桃のような素肌。愛らしい顔つきからは想像しえない流暢な日本語と共に毒を放つ姿は大いに違和感があるはずなのに、綱吉には既にない。
 そんな二人は固まる綱吉たちに一度一瞥をよこした。袈裟を着込んだ男が馴れ馴れしく片手を上げる。
「おー、隼人に沢田のところの坊主! じゃあな、ご苦労さん」
 ぽん、とその男の無骨な手が獄寺の肩を叩き、それ以上に用は無いとばかりに二人を通り過ぎていった。赤ん坊はその男の肩に居座り、同じように片手を上げただけ。
 暫し沈黙が流れ、叫んだのは同時。
「リボーン!」
「シャマル!」
 しかし呼びかけた声は互いに反対で、綱吉と獄寺は互いに顔を見合わせた。
「「……えっ!?」」


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