一

 いつかさ、わかるよ。とそいつは言った。
 山頂に近い開けた場所の岩に腰掛けながら、眼下の景色を愛おしむように眺めて。
「憎んで、呪って、恨んで。けどやっぱ、それだけじゃなかったんだよなぁって…」
 そいつは何かを思い出すように目蓋を閉じた。
 その口端に浮かぶ笑みは、柔らかく穏やかで。気持ちが悪いと、思った。
「嬉しいことも、楽しいこともあったんだ。幸せな日々っていうのが、確かにあったんだよ」
 何で忘れてたんだろうなー、とそれでも幸せそうに笑うそいつがやっぱり気持ち悪くて、吐き捨てるように言葉を落とす。
「……あった、だろ。忘れていたのはその『幸せ』よりも『憎悪』の方が強かったからじゃないの」
「そいつは違うぜ」
 吐き捨てるように叩き付けた言葉は、しかしハッキリとそいつによって否定された。む、と目の前で背を向けるそいつの背中を鋭く睨み付ける。
 閉じた目蓋をゆっくりと開けたそいつは、やはり眼下の景色を覗く。けれど今度は先刻よりも、もっと遠くへ。眩しいものを見るように、そいつは目を細めた。
「甘く優しい過去は、今を辛くさせるだけだ」
「……わかっていたんだろうな、多分、無意識に。だから、忘れた。そしてどんどん、視野が狭くなっていったんだ、きっと。辛く苦しい過去は、今を生きる糧になるから」
「そうして何年も何年も独りでいたよ。何年も何年も、独りで生きて、独りで歩いて……心が渇いて仕方なかった」
 そこまで紡いで、そいつは一旦口を閉じた。
 そうして半身を捻って振り返り、見慣れた満面の笑みでそいつは笑った。
「それから暫くして――恭弥と出会った」
 浮かんだ笑みが、あまりにも綺麗で。あまりにも、穏やかで。
 惜しみなく笑うそいつの顔を見ているのが嫌になって、視線を逸らした。そっぽを向いたまま、あくまで淡々と言葉を綴る。
「会いたくなかったけどね」
「てめぇなー」
 落とした言葉に返った返答はほんの少し刺が含まれていたが、大半は苦笑だった。連れない言葉に慣れた態度。眉を顰めてそいつの顔を睨み付ける。
 けれどそいつは一度肩を竦めてみせるだけで、懲りもせず話を続けた。やっぱり、ひどく穏やかに笑いながら。
「俺は会えて良かったよ、恭弥に」
「………」
「幸せだなぁって思ってる。楽しいぜ、毎日が」
「……退屈だとか煩くしてなかった?」
 日頃の発言と対極な言葉を聞き、訝しげにそいつの顔を仰ぎ見ると「それもまた楽しみの一つ」と軽薄な笑みと共に理解不能な答えが返ってきた。
 そのままわしゃわしゃと乱雑に頭を掻き回されたので、胡乱げにその手を叩き落とす。そいつは叩かれた手の甲を情けなく宙に振ってから、一度目を細めて、そしてどこか達観した笑みを浮かべた。
 それはとても晴れやかな笑顔で。
「はは。いつかさ、わかるよ。恭弥も」
 陽光を浴びて光るそいつの髪が眩しくて、視線を逸らした。
 気持ちが悪いと、思った。そして気味が悪いと思った。何の悲愴も怨恨も憎悪も浮かんでいない、ましてや畏怖でもないそいつの笑みを。心底『幸せ』そうに笑うそいつ自身を。
 気持ちが悪いと感じながらも、それでも何時からこいつはこんな風に笑うようになったのだろうと、そんな事を頭の片隅に思った。

 ***

 並盛山の頂に近い、その開けた山嶺に立ちながら雲雀は眼下を見下ろした。連なる山々は朧気ながら、けれど麓に点在する山村は早朝に巣くう大気の霧によって視界を塞がれている。
 それでも霞むその先を見ようと、雲雀は目を細めた。けれど目を凝らして見たところで、大気を覆う霧が晴れなければ視界に移る風情は差し変わりない。変わらず霧が雲雀の視界の中で帯のように広がって邪魔を続ける。
 晴れない霧に小さく雑言を浴びせて、雲雀は目を瞑った。
 苛立ちは郷里の景色を隠す霧に対してか、或いは霧は霧でも身の内にたなびき続ける暗雲にも似た古参の古霞に対してか。
「恭さん」
 背後から名を呼ばれ、伏せていた目蓋を開ける。
 見える景色は先刻と変わりなかった。
「やはり、山の中には居られません。既に人里に下りたものかと思われます」
「……そう」
「どうされますか」
 動向を伺う言葉を掛けられ、そこで雲雀は背後を振り返った。土が取り払われ、既に巨石と化した地面の上で下駄がカコン、と音を立てる。
 背後に立っていた男の存在を視界に見留めて、雲雀は歩き出した。
 どうするかだなんて決まっている。
 逡巡することなく決まった決断をしかし男には告げず、雲雀はゆっくりと山を下りていった。その顔に浮かぶ笑みは、いつかの『アイツ』とは程遠い。

 柔らかく、穏やかに。そして唐突に。
 あまりにも綺麗で、あまりにも晴れやかに笑いながら、『アイツ』は逝ったのだ。




第二章
 春霞、たなびいて




 二

 どどどど、と大気を劈くほどの轟音が休み無く鳴り響く。それは数メートル上の崖から落ちる水の勢いが生み出した轟音で、先程から綱吉の耳を激しく叩き付けていた。さらに言うならば滝に当てられた身体は先程からずっと無情に叩かれ続け、冷え切った身体はもはや感覚も無きに等しい。
 春も終わりに近づき、初夏もすぐそこだとはいえ、河川の水はまだ潜水するには早すぎるのだ。
 であるというのに、何故か綱吉は落ちてくる滝をその身体で受け止め、滝の衝撃で激流と化す水の流れの中を仁王立ちしている。
「ちょっ、リボーンさーん!!」
 轟音に消されぬようと、綱吉は大声を張り上げた。
「何だ」
 すると返ってくる応えは静かで、なのにしっかりと綱吉の元まで届いてくる。何だか神さまの贔屓を感じた。しかしそんな些細な事はすぐ脇へと置いて、綱吉はここ一番の疑問を問いかける。
「これって何か意味があるんでしょーかー?」
 修行といえば、確かに滝に打たれるというイメージが綱吉にもあるといえばある。だが半ば強制的にやれと言われるままにやっているので、一体何が目的でやらされているのかサッパリだ。
 数メートル上から落ちてくる水に身体は叩かれて刺す様に痛いし、直に一番当たる頭部はもう顔を上げているのも辛い。水圧に耐えきれず身体は徐々に前屈みになる一方だ。
 一体この修行が何の足しになるのか分からなければ気力も生まれない。
 リボーンは河川の端に衝きあげられた岩石の一つに優雅に腰掛けたまま、億劫そうに口を開いた。
「意味? 特にねえ」
「――薄々そうだろうなぁとは思ってたけど、何その言い方!?」
 簡潔に告げられた言葉の遣り切れなさに、綱吉は喚いた。
 それからザブザブと水を蹴る様にして大股に歩を進め、リボーンの近くの巌の一つに立ち上がる。その上で水を吸って重くなった短衣を脱いで、それを力の限りねじって絞った。捻れるだけ捻って吸い取った水を絞り出した短衣を、張りを戻すように両手で引き延ばしてから、綱吉はキョロキョロと辺りを巡らす。そして近場の中でもより大きい巨石を見つけると、その上に先程脱いだ短衣を干すように広げた。
 濡れた髪の毛も後ろに掻き上げながら水を絞る。チカチカと目に差し込む照る日を見上げて、綱吉は深く息を吐き出した。
「ああ、今日は天気が良くてよかったなぁ」
 と思ったのは言わずもがな。
 綱吉は水を吸った重みでずり落ちかけたズボンを持ち上げて、ズボンに通された腰紐を引いてからきつく縛り直した。それから水に濡れていない岩の上にゴロンと横になる。
 映る晴天を目で仰ぎ見ながら、綱吉は脱力したように身体から力を抜いて呼吸を繰り返した。とにかく長時間水に身体を打たれていたので、体力が落ちて仕方ない。
 ぎゅっと目蓋を閉じる。視覚が閉ざされるとその他の感覚の方が鋭敏になった。
 先程までは気にも留めなかった鳥の囀りや、芳香な花の匂いに気付く。
 すぐ側を流れる川のおかげで清涼な空気が綱吉の鼻先を掠め、陽に向かって枝を伸ばす木々からは新緑による酸素の配給が。生まれたての大気を運ぶ風がその清澄な山の空気を綱吉に運び続けた。
 いくらか身体の脱力感から救われたところで、綱吉はぱっちりと目を開けた。
 そして視界の端に映る童子の姿を認めると、むっと眉間に皺を寄せる。
「リボーン、お前なぁー」
 突いて出る言葉は自然と咎めるようなものになった。
「無理やり連れて来て、挙げ句こんな事やらせておいて修行じゃないってどういう事だよ!」
「こういう事だな」
「いや、わけわかんないし!?」
 リボーンは小さな手でとある動きを見せたが、綱吉はその動きが意味することを読み解くことはできなかった。
 言いたいことはそれこそ山ほどあるのだけれど、綱吉はそれをぐっと我慢する。文句という言葉をきちんと飲み込んでから、深々と吐息をもらした。
 綱吉がリボーンを師事として、半ば虐めじゃないのかと思う修行を初めてから凡そ三月が過ぎた。つまり綱吉が『鬼』と実際に出会ってから三ヶ月が経ったというわけである。
 綱吉自身はあれ以降、鬼とは会っていなかった。リボーンは時々会っている様であるがその時の事を多く語らないうえ、綱吉も好んで話したい内容でもないので詳しく聞かない。けれどあの時鬼から聞いた「暫く人は食べない」という言葉に偽りは無いようで、ここ三月の間に行方不明者の噂は聞かなかった。
 それに安堵する傍らで、三ヶ月経った今は鬼による人食いが再開されることに危惧している。
 村の人達が鬼に食べられるのは嫌だ、と思っていても今の綱吉にあの鬼を止める力があるとは思えないのだ。基礎体力は三月前よりは付いただろうが、言ってしまえばそれだけである。とてもじゃないが、綱吉ではあの鬼を止めることなどできやしないだろう。
 そこまで考えて、綱吉は事実だけに落ち込む。はあ、と重大事のように重く息を吐き出した。
 しかし視界に童子の姿を入れて、まあリボーンもいるんだし、と結局は他力本願的な答えに収まってしまう。と、そこへ。
「おい、ダメツナ」
 好んで呼ばれたくない渾名で端的に声を掛けられた。しかも。
「――ふぐぇっ!?」
 チカ、と一瞬の射光を遮って小さな黒い死に神が綱吉の鳩尾へと着地した。
 容赦なく綱吉の胸の中央で踏ん反り返るリボーンは、身悶えして苦しむ綱吉の姿など露ほどにも気にかけていない声音で、至極あっさりと恐ろしいことを告げてくる。
「いつまでも寝てるんじゃねぇ。修行を始めっぞ」
 綱吉は、見かけだけは無垢な童子そのものに見える、そのリボーンの姿を見つめて思った。
 悪魔がいる、と。

 ***

「いててて」
 身体中に浮かんだ痣の中でもとびきり大きい青痣が付いた右腕に意識が向いて、綱吉は痛みに顔を顰めた。その隣を歩くリボーンが心底嘆かわしいと言わんばかりの視線を投げて寄越す。
「まだまだダメツナだな」
「うるさいなぁ。だいたい、熊と遭遇して生きて帰れるだけラッキーだよ」
 辛辣なリボーンを睨め付けてから、綱吉は感嘆やら悲嘆やらよく分からない息を深々と吐き出した。そしてその時の事を思い出すなり、ブルリと身体が震え出す。
 それは本当につい先程までの事であるのだが、綱吉がリボーンとの修行の最中に熊の急襲に出遭ったのだ。心臓が停止しても不思議じゃないくらい驚いたのに、そんな時に限ってリボーンはおらず、綱吉は危うく仏となりかけた。どうして熊が途中で気を変えて退き返したのかは分からないが、おかげで綱吉はこうして奇跡の生還を果たしている。
 山での修行ならばそんなこともあるかもしれないと思っていたが、実際に経験するとまるで生きた心地がしなかった。
 ちなみに綱吉が修行の場として活用している山は並盛山ではない。並盛山よりは劣る小山である。
「ラッキーじゃねぇぞ」
 綱吉が安堵と恐ろしさに胸を撫で下ろしていると、隣を歩くリボーンが綱吉の思考を遮るようにして口を開いた。けれどリボーンが何を言っているのか分からず、綱吉はきょとんと首を傾げる。
「あの熊はベティー次郎といってな、気の良い奴だ。今日もオレの頼みを快く引き受けてくれたしな」
「……え?」
 何か恐ろしい言葉を聞いたような気がする。
 引きつり始めた顔をリボーンに向けると、黒い円らな瞳とかち合った。
「迫真な演技だったろ」
「――ありえねぇぇぇええ!!」
 綱吉は叫んだ。心の底から叫んだ。
 バサバサ、と綱吉の大声に驚いた鳥が茜色に染まりつつある空に羽ばたいたが、綱吉もリボーンもそちらの方向に視線は向けなかった。
 リボーンはいきり立つ綱吉を片手で制す。
「オレもあいつがあんなに演技派だったとは知らなかったんだ。悪かったな」
「謝るところはそこか? そこなのか!?」
「お前ちびりそうになってたしな」
「ほっとけー!!」
 己の醜態をあっさりと口にするリボーンを憎々しく思いながらも、それよりも羞恥心が勝って綱吉は先程までとは違った意味で顔を赤く染めた。その目尻にはうっすらと涙が浮かびつつある。
 だがやはりそんな綱吉など気遣う素振りもなく、リボーンはあくまで淡々と告げる
「ベティー次郎は去年念願叶って思い熊と添い遂げてな、今年は二頭のパパだぞ。順風満帆で羨ましい限りだと思わないか」
 などと、そんな知りたくもない熊の子細を知る羽目になった綱吉は今度こそガックリと肩を落とした。
 これがリボーンで無ければ童子の戯言と笑い飛ばすぐらいはできたかもしれないが、事がリボーンだと冗談に聞こえない。熊と友達、そんな事は朝飯前だとか言いそうだ。
 はあ、と今日何度目になるか分からない重い溜息をついてから、綱吉は黄昏時の空を仰ぐ。夕陽によって西空は茜色に染まりつつあった。その空に浮かぶ黒い斑点、鴉の物寂しい鳴き声が綱吉の気を尚塞ぐ。
「はあ」
「――おう、沢田ではないか!」
「!?」
 気が一層滅入ったところで、綱吉は己の名前を呼ばれて反射的に落としていた肩を上げて背筋を伸ばした。そしてキョロキョロと辺りを見回す。
 気付けば既に山も終わりを迎えていた。最後とばかりに急な下り坂が綱吉の前に広がっている。元がきちんとした山道を通ってきたわけではないので、出口も直接村の中へと繋がっているのだ。
 村には村全体を囲うようにして柵が巡らされている。それは確かに村を守る為のものだが、綱吉の家からわざわざ村の入り口へ出て修行をする小山へと向かうには些か遠回りなのだ。だからいつも綱吉は村の柵に足を掛けて、少々急な山の斜面を登って山の中へと入っている。
 そうやって山へ入ることは禁じられていることだが、昔から子供たちの遊び場として小山への侵入は目を瞑られているのが現状だった。
 リボーンは一足先に柵を越えて村の中へと戻る。綱吉もその後に続くが、リボーンのように身軽にはいかなかった。恐る恐る柵に足を掛けながら体重移動を繰り返して村の中に足を着く。
 身体に付いた土を払うように服を叩いた後、綱吉は山の中でもしたように辺りを探った。そして呼び声の主を見つけるなり、そちらへと足を向ける。
 リボーンもこれまた身軽に綱吉の肩へ飛び乗った。
 村の畑地の一角、草垣の中に仁王立ちして綱吉を待つのが一人。さらに隠れるようにして身を屈めているのが二人。
「丁度良いところに来おったな、沢田!」
 そのうちの一人、仁王立ちしていた男が張りのある声を大音声で上げた。
「きょ、京子ちゃんのお兄さん……」
 その声の度量に勢いを蹴落とされたように尻込みする綱吉であるが、男は気にした素振りもなく大股で綱吉のところまで詰め寄ってくる。
 そして無意識に後退する綱吉の手を、ガシっと音がするのでは無いかと思うほどに力強く握った。咄嗟に怪我が酷い右手は引いたので、男、了平が掴んだのは左手だ。
 ホッと安堵する綱吉の様子など目に入っていない様子で、続いて了平の視線が綱吉の肩に座るリボーンへと映る。そして至近距離であるに関わらず大音声で声を張り上げ、その顔を輝かせた。
「おお、童も一緒か! 丁度良い、二人一緒に手伝え!」
 それから綱吉達の意向など聞くこともなく、了平は引きずるようにして綱吉を元居た草垣の場所へと引っぱっていく。
「あ、あの、手伝えって何を……?」
 当然ながら、了平はそんな綱吉の疑問などに耳を貸さなかった。
 了平に連れられるがままに草垣に辿り着くと、連れてこられた当人に何故か「隠れろ!」と頭を抑えられ、綱吉の身体が草垣の中に沈む。リボーンはちゃっかり抑えられる前に綱吉の肩から飛び降りていた。
 そして当人は草垣の中に聳え立つ木の幹に隠れているつもりなのかもしれないが、ハッキリ言ってどの角度から見ても丸見えだ。隠れるにはその木は痩せすぎている。
 綱吉は小さく頭を痛めてから、同じようにして草垣の中に隠れている二人の少女を見やった。
「……何やってるの?」
 何と無しに小声で尋ねると、何故か箒を握りしめた少女がニコリと人好きのする笑みを浮かべる。
「お兄ちゃん達がね、畑荒らしを捕まえようって」
 便乗するように、また何故か鉤縄を握りしめた少女がずずいと身を乗り出してきた。
「一生懸命育てた野菜を勝手に食べちゃうなんて人として最低です! だからハル達が捕まえて御上に突き出すんですよ!」
 そして握りしめた鉤縄を突き出してくる。
「これは昨日ハルが夜なべして編んだものなんです。愛情たっぷり込めましたから、絶対に犯人を仕留めてくれるはずです!」
「いや仕留めちゃダメだって!」
 最後、物騒な発言に移ったハルを押し留めてから、綱吉はそういえばと最近の村の事件を思い出す。
 綱吉の家はまだ実害は無いのだが、ここ最近は頻繁に畑地の野菜が食い荒らされる、という被害が続いているのだ。専ら山に住む猿や狐の仕業ではないかと囁かれているが、ハルの言う通り人の可能性もなくはない。
 それでも綱吉は大人たちが対策として柵の補強と、夜の見張りを立てるということを聞いていた。それは了平達も一緒だろうけれど、けれど彼らは自分たちの手で捕まえるのだという。
「さあ来るなら来い、盗人め!」
 了平がやはり仁王立ちに、声を大にしてそんなことを張り上げた。
 夜通し見張りをするつもりなのか、彼らの側には毛布が畳んで置いてあった。それを見て、綱吉はこっそり息を吐き出す。そして厄介な人達に捕まったなぁと頭を痛めた。
 了平とハルは人の話を聞かないですぐ暴走するから、今ここで綱吉が帰りたいと願い出ても黙殺されることだろう。唯一話を聞き入れてくれそうな京子といえば、ニコニコと無邪気に笑いながら「ツナくん、一緒にがんばろうね」なんて言ってくるものだから、綱吉はノーと言えない。
 ああああ、と綱吉は本格的に頭を抱えた。そしてそんな時に、今まで大人しかったリボーンの声が綱吉の耳に入ってくる。
「ならママンに今日は遅くなるって伝えておかなきゃな。オレが一っ走り行ってくるぞ」
「なあ!?」
 その言葉の意味するところを、第六感ともいえる直感で瞬時に察した綱吉は愕然としてリボーンを振り返った。しかし童子の円らな瞳は綱吉を捕らえず、京子やハル、了平たちを順に射止めていく。
 了平は胸の前で腕を組んでから、リボーンの言葉に大きく首を振った。
「おおっ、そういえばそうだな!」
「はひー、うっかりしてましたぁ。流石リボーンちゃんです!」
「ツナくんのお母さんに心配かけちゃうところだったね」
 了平に続いてハルと京子も頷き、リボーンは三人から賛同を得る。挙げ句には「それでは童! 沢田の母君に言伝を極限頼んだぞ!」なんて会話が繰り広げられて、綱吉は顔を青ざめた。
「ちょっ、ちょっと待って。それなら俺も……!」
 ここで退いたら完全に断る機会を逃すのは一目瞭然。
 京子達には悪いが、日中リボーンの修行という名目のいびりに綱吉の体力は限界だった。帰って少しでもより良い環境で就寝したいと思う綱吉は悪くないはずである。しかもリボーンは「一っ走り」と言っておいて「一っ走り」した後は帰ってこないこと請け合いだ。
 何としてでもリボーンを行かせまいとしようとした所で、綱吉は身体の動きを止めた。
「何やってるのよ、あんた達……」
 背後から現れた第三者は、草垣に佇む綱吉達を心底呆れたように一瞥してくる。後ろを振り返った京子が、その第三者を視界に入れて驚いたように目を丸くした。
「あれ、花? どうしたの」
 やっぱり花も一緒に畑荒らしを捕まえる?と京子が尋ねるところ、この花と呼ばれた少女も綱吉同様に見張りに誘われたらしい。綱吉と違い、すっぱり断っているようだが。
 花は頭の上で髪を一つに結い上げているハルとは違い、緩く巻かれた髪を肩に下ろしている。そして綱吉たちと同年であるが、どこか邪気ない表情が目立つ京子やハルと比べると、大人びて見える女の子だった。
「違うわよ。ただね、面白い話を教えに来てあげたのよ」
「む。面白い話だと?」
「そ、大人達が話しているのを偶然聞いたんだけどね」
 了平が顔を顰めて尋ねると、花が肯定の相槌を打つ。それに続いてハルが何を聞いたのかと尋ねると、花は自らの髪に指を絡めながらその顔に薄く笑みを浮かべた。
「何でも西の隣村の前に鬼の死体が見つかった、って話よ」


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