重厚なソファーの上に緩慢とした動作で腰掛けながら、雲雀は不機嫌な様子を隠しもせずにいた。
 態度だけは悠然とした仕草で足を組み、背もたれに軽く身体を倒しながら手に持った書類の束に目を通す。しかし依然と視線は文字を追うだけで全く頭に入ってこない。集中することができない自身の不甲斐なさに、雲雀は舌を打った。
 すると向かい側に座る男が、舌打ちに怯えたように小さく身体を震わせた。雲雀の苛立ちの原因が己にあることは重々承知らしい。ならばさっさと去ればいいものを、とそれ以上は微動だにしない向かいの男に対して苛立ちながら思う。
 昔からそういうところが、この男にはあった。
 怯えるくせに、泣きそうな顔をするくせに、退かない。雲雀はその度に苛立ってきた。
 トンファーを振り下ろして、向かいに座る男を嬲り殺しにする。あの目を潰して、何も喋れぬように顎も砕いて、顔立ちが解らなくなるまで。何度も、何度も。そうして日本人にしては色素の薄い、あの奔放に跳ねる髪が赤く染まるまで。
 そこまで考えることは簡単なのに、雲雀は昔からそれができていない。殺したいと思っているのに、殺せずにいる。気分が悪い。苛立ちは年々増しているようでもあるし、惰性のように薄れていくようでもあった。自分のことながら、よくわからない。だからこそ余計に、身の内から迫り上がってくる不快感に苛立つ。
「それで、用件は何」
 退く気がない時のこの男を下がらせるのは、ひどく億劫だった。
 そうして雲雀は毎回、それこそ惰性のように男の用件を問う。男の望む様になるのは癪であるが、それ以上に男に居座れる方が嫌だった。
 目を通していた書類を机の上に置いてから、雲雀はこの時初めて向かいに座る男へと視線を上げた。視線がかち合った男はその一瞬だけ瞳を奇妙に歪めて、けれど次の瞬間には愁いのみを宿して小さく「すみません」と頭を垂れる。断りを入れているつもりなのか、単に項垂れたのかよくわからない動作だ。
「暇じゃないんだ。早くしてよ」
「はい。あの…」
 苛々と腕を組みながら促すと、再び上げた男の顔に浮かんだ瞳は不安に揺れている。
「話を、聞いていただけますか」
 雲雀は恐る恐るという具合に告げられたその言葉を聞いて、目を細めた。
「僕に拒否権はあるの?」
「…………」
「ねえ、話っていつものあれでしょ。仕事の話だったら君がわざわざ来る必要無いしね。もしかして僕は君のカウンセラーか何かなのかな。だったら他を当たってくれる? 赤ん坊にでも相談したら? 良い専門医でも紹介してくれるんじゃないの」
 畳み掛けるように冷淡な態度のまま言葉を紡ぐと、「だって…」と呟いた男が膝に乗せている拳を爪が食い込むまで強く握りしめる。
「だって、みんなには……言えません」
 絞り出した声にも、丸まった身体にもドン・ボンゴレとしての威厳は見当たらなかった。
 この男は、ごく稀に雲雀の元を訪れては心底胸糞が悪い話をしてくる。話の内容は様々であるが、要約するといつも同じ事だ。
「どうして言えないの」
 追求するように苛立ちを声に乗せて尋ねる。
「みんなは、オレのせいじゃないって、……そう言うに決まっているからです」
「事実そうだと思うけどね」
「ちがいます! ……ヒバリさんまで、そんなこと言わないでください」
 最初張り上げた声は、次第に小さくなって聞き取りづらくなった。勢いと共に上がった顔もまた俯いて、男の丸まった身体が小刻みに震え始める。前髪で隠された表情の中で、唯一見える唇がきゅっと結ばれた。
 雲雀は殺気にも似た苛立ちを瞳に滲ませながら、その男の様子を見据える。
「じゃあ、なに。君は僕に責められたくて来ているわけ?」
 何だそれは、と思う。
 他人の赦しをよしとせず、己の所業を既に罪であると認めているのなら、それ以上に何を望むというのだろう。他人に断罪を求めているならばそれはただの自己満足に過ぎず、雲雀はそんなことに付き合うつもりは毛頭無い。
 微かに更なる苛立ちが募り始めたところで、男は首を左右に振って雲雀の言葉を否定した。
「ちがいます」
 ひたと、男の目が雲雀を捕らえる。
「ただ、話を聞いてもらいたいだけです」
 雲雀は目を細め、眉を顰めて向かいの男の顔を睨め付けた。
 つまり雲雀は、ただの捌け口。赦されたくないと言った男は、恐らく彼の親しい人間に聞かれることを恐れていた為に、他人に関心が無い雲雀を捌け口として選んだのだろう。それに雲雀はボンゴレ本部である屋敷にはほとんどいない。実に態のいい人材だったわけだ。
 そこまで考えて、雲雀の中で煮え立つような怒りが沸き上がった。体中を苛立ちが駆け巡るような錯覚がした。けれどこの苛立ちをぶつける相手が目の前に居るというのに、雲雀はその男の顔を見ると何故か殺気が態を鎮めてしまう。その自身の変化に気が付いて、さらに苛々する。なんという悪循環だろうか。
 雲雀は煮え切らない苛立ちを胸に、席を立った。机に置いた書類を閉まってから、壁に掛けておいた黒のコートを羽織る。
「ヒバリさん? どこへ…」
「仕事に行く」
 男の言葉を最後まで言わせず、雲雀は眼差しも向けずに遮った。
 仕事があるのは事実であるが、本当はもう少し遅くなってから行くつもりでいた。今の時間では少し街をぶらつく事になるだろう。騒がしい街を思うと舌打ちをしたくもなるが、この男とこれ以上一緒にいるよりは断然ましだった。
 雲雀はコートを羽織ると真っ直ぐに出入り口を塞ぐドアへと足を進める。その背に、男が呼びかけた。
「ヒバリさん」
 小さな呼びかけだ。聞こえぬ振りも十分にできるぐらいに。
 だのに、雲雀は己が何かを意図する前にその足を止めてしまった。無意識な自身の行動に苛立ちを大きくしながら、止めてしまったら仕方ないと背後の男を振り返る。
 男は、ソファーに座ったまま雲雀を見ていた。
 そしてまごつくように視線を彷徨わせてから、恐る恐る雲雀と目を合わす。その瞳に浮かぶ怯えの色は、中学生の頃から全く変わっていない。けれどその瞳の奥に宿る色は、雲雀には謀りかねた。
 ただ、告げられた予想外の言葉に面食らう。
「待っていても、いいですか…?」
 まるで縋るように尋ねられて、咄嗟に言葉を失った。雲雀の瞳に動揺が走る。しかし、すぐにそこまで胸糞の悪い懺悔を話したいのかと、そしてどこまで自分を馬鹿にするつもりなのかと、一瞬萎んだ怒りが急激に膨れ上がった。
 雲雀は何も言わずに踵を返して、ドアノブに手を掛ける。そのままノブを回して、開けた隙間に身体を擦り込ませた。
 バタン、と扉が閉まる音が小さく響く。



(世界が閉じる音がした)

2008/3/14 脱稿