「信っじられない」
 ヘルマプロディトスは、目の前でひたすら爆笑を抑え込もうと肩を震わせながら、机に突っ伏している人物を心底冷えた視線で睨め付けた。
「それが、心身共に落ち込んでいる、久しぶりに会った息子への態度か!?」
 耐えきれず怒鳴ると、ようやく父が机から顔を上げる。
 常日頃から笑みが絶えぬ父であるが、やはり机から上がった顔には笑みが浮かんでいた。しかし、普段の穏やかな微笑と違い、溢れる笑いを堪えようとして――失敗している。そんな表情だ。
「〜〜〜父さんっ!!」
「う、うん。ごめんごめん」
「全っ然、謝られている気がしないんだけど」
「悪いとは思ってるんだけどね。なんというか、想像を上回る姿に驚いて」
 へらり、と笑われる。
 それにぐっと喉を詰まらせた。それからヘルマプロディトスは憂い気に目を伏せ、机の上で右手を握りしめる。力いっぱいに握られた指先が赤く染まった。
 そして、ふっと吐息を吐き出す。
「僕だってね、僕だって、好きでこんな躯になったわけじゃないんだから…っ」
 ところかわって、声に覇気が消え失せ項垂れるヘルマプロディトスの目は涙目になった。
 気を緩めれば、今すぐに泣ける自信がある。
 そんなヘルマプロディトスの気など知らず、父ことヘルメスは先程までの爆笑の気配など微塵も感じさせない、玲瓏たる微笑みを浮かべた。
「それで、へディは女体化したってことなのかな?」
 ヘルメスはここ最近、館から一歩も出ないという息子の不調の原因を遠慮なくつく。
 そして、久方ぶりの息子をじっと見据えた。その息子の姿は、ヘルメスの目から見て異常に見える。
 なぜなら、男であるはずのヘルマプロディトスの胸には、ありえない膨らみがあった。前々から男としては十分華奢であったヘルマプロディトスだが、今はそれ以上にほっそりとしていて、更に丸みを帯びているようにさえ見える。
 どうみても、女の躯な息子を見ての発言であった。
「………」
 しかし、返事は返ってこなかった。
 ストレートな物言いにまた怒らせたかな、と困ったように笑うヘルメスは、しかしヘルマプロディトスの顔を覗くなり考えを改めた。
 ヘルマプロディトスの顔は、目に見えて強張っている。
「それだけじゃないんだね」
 ふう、と小さく息を零せば、ヘルマプロディトスはこっくりと頷いた。
「………だけ……」
「なんだって?」
 小さな言葉に聞き取れず聞き返すと、ヘルマプロディトスは顔を赤らめる。
「だから、上だけっなんだよ。女になってるのは。……その、下はそのま」
「――ぶっ」
 耐えきれず、ヘルマプロディトスの言葉を遮るようにして、吹き出した。
 途端、凍えるような冷たい視線がヘルメスに突き刺さる。
 それに気付かぬふりをしながら、ヘルメスは再度訪れた爆笑の渦を抑え込むことに意識を集中させた。
 ――つまりヘルマプロディトスは、両性具有となってしまったわけだ。
「あ、アプロディテは知っているの?」
 まだ笑いの余韻を残しながらも、ヘルメスはヘルマプロディトスにとっては母親でもある女神について尋ねた。
 そのヘルメスの言葉に、憮然とした返事が返ってくる。
「知ってるよ」
「へえ。なにか言っていたかい?」
 興味半分で尋ねると、思わずキッと強く睨まれた。
「本気で聞いてるの?」
 一体どんなことを言ったのだろうか。
 あれでアプロディテは結構子供好きであることを知っているだけに、ヘルメスは興味が湧いた。
 より目を輝かせた父を見据え、ヘルマプロディトスは顔をしかめる。
「『上も下もできるだなんて、凄いわへディ。人生得してるわよ、私は嫌だけど』だって!!」
 ヘルマプロディトスは、本気で涙目であった。
 ちなみにアプロディテの言う”上””下”とは男女の情事の際の役割についてである。母親がアプロディテでは、どんなに鈍い子供でもその意味を計りかねないなんてことはない。
「最低だよ、ほんと。息子の一大事を笑う父親も父親だけど、なんで、母さんはああかなぁ!?」
「大らかだよね」
「そういうことでもないし!!」
 間髪入らずに怒鳴られる。
 あははとヘルメスが笑う中を、ヘルマプロディトスは本格的に頭を抱え込んだ。
 ぶつぶつと呟かれる言葉の中に物騒な言葉を聞き取るが、ヘルメスは我関せず。嘆く息子の姿を愉しそうに見据えた。
 そして、ふと思いつき、声を掛ける。
「今度、一緒に下界に行こうか。へディ」
 初めて下界におりて、両性具有となってしまったヘルマプロディトスの視線は当然ながら非友好的なものだった。
 しかしヘルメスは気にせず笑いかける。
「今狙ってる店があるんだ。随分と良い品揃えでね、けどそこの商人が随分と手強いらしくって。でも調べたところ、すごい女好きみたいなんだ。だから、へディが一緒なら油断して交渉がやりやすくなるかも」
「いやだ」
「側に立ってるだけでいいんだよ」
「い・や・だ」
「流石アプロディテの血を引くだけあって、今のその姿だとすごい美少女にしか見えないし」
「だから、それが嫌だって言ってるんだって、どうして解ってくれないんだ!?」
 ヘルマプロディトスが、悲痛の声を上げる。だが、ヘルメスは一度頷くだけで変わりない。
「解ってるんだけどね、もうその姿となってしまったのだから、どうしようもないだろう。だったら、有効活用しないと勿体ないと思わない?」
 と、至極真面目に前向きな言葉を言ったのだった。
 ヘルマプロディトスとしては、どうしようもなくとも、最初ぐらいは実の親に今の現状を嘆いてほしかったのだが…。
 子の心親知らず、とはこの事であろうか。
 項垂れるヘルマプロディトスに、ヘルメスの穏やかな声がかかる。
「大丈夫だよ。へディは可愛いから、心配いらない」
 何の心配だ!と突っかかる元気は、既にヘルマプロディトスには無かった。



補足

 ヘルマプロディトス
 ヘルメスとアプロディテの息子。
 熱烈なストーカー(だと私は思う)ニンフのサルマキスの一方的な願いにより、一心同体――男とも女とも分かちがたい身体(両性具有)となってしまう。

2007/5/17 脱稿